国際業界動向
「脳のペースメーカー」
掲載:2006年07月
てんかん治療の医療機器がうつ病治療へ適応拡大
2005年7月にFDA(米国食品医薬品局)が承認した埋め込み式の迷走神経刺激装置VNS :Vagus Nerve Stimulationは「脳のペースメーカー」とも言われ、難治性うつ病を長期的に治療する医療機器です。この装置は心臓ペースメーカーに似たパルス発生器で、左上胸部に埋め込まれたパルス発生器からは一日に24時間電気パルス(例えば、30秒間ON/5分間OFF)が発生し、頚部迷走神経を被う電極から脳に送られます。電気パルスの80%以上は脳に到達し、セロトニンなどの脳内物質の分泌を促します。
VNSはもともとてんかん発作の治療のために開発され、1994年に欧州諸国で、1997年には米国およびカナダでてんかん発作治療機器として承認され、今では全世界で35,000人の患者さんに使用されています。米国では約270万人のてんかん患者が存在し、そのうち、約80万人は難治性てんかん患者です。本治療器を用いたてんかん治療に携わっていた研究者が患者のムードの著しい向上に注目し、うつ病の治療に応用するに至りました。FDAが承認した適用症は18歳以上の難治性うつ病(TRD : Treatment-Resistant Depression)の長期的な補助治療に限られています。難治性うつ病は4種類以上の抗うつ治療方法で適切な治療結果が得られない症例です。
治療方法の選択を拡大
米国のうつ病患者数は全人口の約6.5%(約1,900万人)で、女性は男性の約2倍です。女優のブルックス・シールズさんが2003年に出産後うつ病で悩んだことはよく知られています。今日のうつ病の治療は主として薬剤によるものであり、米国では2005年には約1億8,900万件の処方箋が抗うつ薬のために発行されています。しかし本年3月のNew England Journal of Medicine誌に発表された結果のように、医療の現場で抗うつ薬が効くのは3~4人に1人であるとされています。新しい抗うつ薬の薬事承認を得るための臨床試験では、対象患者が注意深く選択されるため、臨床試験成績が現実の医療現場の治療成績と乖離しているといえます。医療現場では臨床試験から除外された、複雑な、あるいは慢性的な病歴の患者を多数抱え込んでいます。
FDA医療機器評価研究センター長のダニエル・シュルツ博士が有効性を疑う審査担当者20人の反対を押し切って、長期の施設生活以外に行き場のないTRD患者に選択の余地を与えるべく承認した、FDAでの承認審査プロセスは有名です。医療現場で3~4人に1人しか効かない抗うつ薬が承認されているのであれば、それを補う医療機器が承認されても不思議ではないでしょう。
精神科の分野では「治療しないがために生じる問題は、治療をすることにより生ずる問題の全てよりも危険である」と言われています。
増加する社会的コスト削減へ
TRD患者数は約400万人といわれ、米国での年間のうつ病医療コストは約40億ドル(4,400億円)以上に達しています。
米国におけるうつ病に起因する医療費、生産性低下、常習的欠勤、自殺などの総コストは年間830億ドル(9兆1,300億円)に達します。約7,000人の患者や医療保険会社がVNSによる治療の保険適用を待ち望んでいます。埋め込み手術は25,000ドルになります。すでに、アラバマ州ブルークロス・ブルーシールド医療保険がVNSによる治療の保険適用を本年3月に発表しましたが、一方では、Aetna社は保険適用を認めないとも発表しています。
米国では、年間3万人の自殺者を含む、他に治療方法がない難治性うつ病患者が必要とする治療です。日本でも年間3万人を超える自殺者がいると発表されています。人口比でみると、米国の2倍の数字になります。主な原因はうつではないかと考えられていますがはっきりとした原因は不明です。このような医療機器が日本の自殺者数を減少させるきっかけになる日がくるかもしれません。


